客観的な評価は、真実を得ている。
林先生はこう言っている。
「他人の客観的な評価こそ正しい。結果が出なければ努力したとは言えない。努力を主観的に判断してはいけない」
「正しい場所で、正しい方向で、
十分な量をなされた努力は報われる」
「たとえば、お笑い芸人になりたい人が、パスタ屋で朝から晩まで美味しいパスタのつくり方を修業しても、自分の目的に近づかないのは当たり前ですね(ときには「パスタネタ」がつくれることはあるかもしれませんが)。あるいは、僕が今からジャニーズに入りたいとどんなに努力を重ねても、それは不可能でしょう。
つまり、やみくもに打ち込めばいいのではなく、まず「正しい場所」に立たなければ、非常に効率の悪い努力をする羽目に陥ります。」
「先の努力の場所だって、実は自分で決めないほうがよい場合もあります。たとえば、「他人にほめられる分野」はありませんか? でも、自分はその分野にはあまり興味がない。そんなときにどうするかが、実は大きな分かれ目となるのです。」
「人間の自己認識は、実は他者認識よりも不正確な場合が多いのです。なにしろ人間は自分の顔でさえも直接自分で見ることができません。それなのに、自分のことが正しく認識できると言えますか? それに対して周りの人、特に先に述べたような利害関係のない第三者が本質を見抜くことは案外多いものなのです。」
で、今まで客観的に褒められたことがあるか考えてみました。
とりあえず、褒められたことを書いてみる。
ここの中に、努力せずに、得意になれるものがあるはず。
①しゃべらなきゃイケメンだね。
②トライアスロン走破とかすごいね。
③東工大出身なんだ、すごいね。
④メンタルつよいな。
一つ一つ検証してみる。
②トライアスロン走破だが、結構努力した。休日の土日両方使って、片方は水泳2キロ、自転車30キロとか毎週。
しかも、運ぶのが大変。ロードバイク重いし。ってことで、相当無理してやって、褒めてもらった感じ。
③東工大、これは本当に過度な努力と無理をして入学しました。一日中10時間勉強です。最後の方に、胃潰瘍になりました。過負荷でした。そのため、勉強する気がその後失せてしまいました。
さて、①のしゃべらなきゃイケメンですが、けなされているとも思うのですが、これは努力は全くしてません。
何もしなくても褒めてもらえる、つまり私の本質的にもつ得意分野ということです。
で、しゃべらずに、イケメンで活躍できること、ありますか?
ボディビルでしょ。
でも、ボディビルじゃ、稼げない、相当レベルでないと。
と、考えすぎるとドツボにハマりそう。
ボディビルやってれば、自身がつくし、ひとめにつきやすくなるから何かしらのチャンスがふえるはず。
芸能人にならなくたって、人前に出れる。劇団に入らなくても、人前に出れる。それは、ボディビルくらいしかない。
なにより、人がその人から受けるイメージは抜群に良くなるだろう。
しかも、パフォーマンスする人もいるが、基本はポージングで良い。べしゃりがいらないのです。
そう考えると、これしかないと思います。
しかも、④のように黙々と何も考えずに努力する事は得意なので、筋トレむきかと思います。